自分だけのブレーンを作る

これは、経営者や組織のリーダーや議員、党首、大統領にだけゆるされた権利ではない。

例えば私は青年期のころから心に配置してきたブレーン達が今でも相談相手である。(今では10名程度の発明家、起業家、技術者、学者、革命家、精神科医、宗教家、投資家のブレーンがいつでも相談にのってくれる。)例えばその中の一人に憧れた経営学の権威的科学者がいる。彼によると、


運など現実には存在しない。人間が勝手に自分たちの理解できない状況を運と呼んでいるだけで、現実の裏には常に原因がある。

という話がある。習慣の蛇行の結果どのような結果をもたらしたのか?を数値化できない理由として、運という。でっち上げの仮説…「奇跡」という言葉も同じ出身の言葉だろう。つまり人間が運と呼ぶ現象そのものはコントロール可能な要素である。コントロールできる人間は何かが起こる事を待ったりしない。みずから動きチャンスを作り出す。

その状況を生まれさせる為に、必要な事として軍師は誰で今回勝負するのか?そういった采配を考えながら望むほうが何事も楽しいはずである。だからブレーン選び、つまり学びこそが生きる上での楽しみであり、私の価値基準である…

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という話を今朝はしていた。これをさらに抽出化して、ラッキーというチャンネルに意識を合わせる」…「すごい幸運だね」と、家族に言ってみる、その言葉が分子にどのように影響するかを生物である家族の風景という雰囲気への影響を観察する、というフィードバックをすぐに行うこと、例えばそのような実験が重要である。どのような聖典にも2人以上の人間が集まる場所でアウトプットせよ、それで考えよ、と書いてあるのだが、それがおそらくひも理論であり、神社のしめ縄であることにつながっている気がしている。いわゆる、ゆらぎであり、解釈の違いを連鎖の電子発生のきっかけにもちいよ、ということかもしれない。

だからこそ、市場名として「運」の役割が最近科学化されていた事が今年の一つのテーマだと感じている。つながり、チェーン。これのブロック化。溝が実態と認知されはじめたテクノロジーで埋めれないジレンマを揺さぶり始めた段階が今の時代。

私は、例えば岡本太郎と、イングラムガンプラード(KEA)と 曼荼羅を発見した ユング を掛け算する、などそういう遊びココロから始まる楽しさを勝手に楽しんでいる。性を刺激するフィンランド家具に、心理的行動理論を計算した配置はどうだろう。これを考えるのも実行するのも自由だが、知ってないと発想すらできない。そのように妄想していると、本の作者には何故か会えるし、必要な人物が勝手に紹介されてやってる。本人ではなくても、その弟子や学び人、第1人者が現れる。数値とは基礎的な話であって、そこから現象とはカオス理論から複雑系といった4次元以上の世界をフィルターしていくと、人間には解けない問題がでてきてしまう。そういった数値化出来ない基準まで 突き詰める事の楽しさ、価値高さ、気高さを知らないと、多分与太話で終わるのだろう。

話は戻ってブレーンの作り方だが、とにかくストーキングである。ひたすらに頭に彼らをインプットすること。ただし、本当に好きな相手でないとインプットは価値がないので、まずは心を読むこと。自分の心を、そのためには何もしない状況「空」「無」を「物理的に」つくること。そして、うまい、下手、関係なく、そのことを感じたことを、文章なり動画なり、表現すること。大事なことは、 空を切る言葉ではなくて、「道場」として、道を刻む、書として 残るような形に 記述すること。

実はそれも大事な事は記述という行為が「身」の動作をもって、楽器の演奏のように繰り返しを行う事が記述性とイコールになると考えている。これを脳が 認知することが 無意識ネットワークへのアクセスにつながる。これは、知性と地星をつなぐ方法になる。例えば鼓動のタイミングと朝礼での今月の目標を読み上げるリズムを一致させる。北極星の位置をしるためのナビを使うのではなくて自分の北極星自体を決める 自らの総合的な「観測」を行う、という意味。教わった知識をそのまま使うのではなくて、自分の血を通わせて具体的に 豊かになる方法として実行すること。

この場合。自分を支えてくれる周りに関してブレーンというのは生死とわず仲間にできるが、最も大事なのは、現実にいる相手で自分が感謝すべき相手、 支えてくれている仲間や家族について。感謝すべきと理解して、相手の名前をちゃんと言える そのような知性があるか?なおさら、初詣だけでなく、定期的に神社でも自宅でも構わないので、皆の名前を書いた紙(かみ、神)を身につけて感謝のお参りをすること。単純に誰が生かしてくれているのが自分なんだ、と口でいうだけではなくて体育的にやってみること。「身 につける」、 とはそういう意味である。

世界中に無宗教が増えることは良いことだが(人間が人間自体を信じてやれること以外の世界へ視野を移しすぎる事によって妙な組織や利益構造が起こっている状況が多すぎる為、一度そうではない実力のみがデジタルで数値化される世界を皆で知るべきであるかもしれない)、かといって、逆に経済教(拝金主義)がおおくなっている事はまずい部分だと思う。実は共産化するのが資本主義主導者の狙いでもあるので、常に民間、企業、発明の視点、その革命が必要である。

これが我々中小企業家の役目でもある、脱線したが、、
この2つは男女の関係のようにやはり 2つのDNAの紐であるように作用しあって中庸の正道をみつけるための手法かもしれない。だからこそ、2つの特徴は観測ポイントのそれぞれ特異点になりぎてはいけない。強すぎる個性はいくら正義でも、全てその色を染めてしまう世界=ブラックホール化してしまう。これは宇宙が教えてくれている法則だと知るべきである。

大恐慌であっても経済が存在しない世界であった古代のバビロニアの頃であっても、現代にも変わらず共有して通用して残ってきた科学や哲学こそが科学者が最も愛した宗教であるといえる。それはなにかというと、真実を追求する心である。そこでもなおのこった公式や哲学を徹底的に持っているブレーンと対話する。

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