社会経験とか、育ちの環境がどうとか、理系だから、文系だからといったことは関係ない

「自分はどんな問いを解いていく?」。

「どういうかたちで社会を変えていく?」。

それが、『自分はどういう人間として生きたいか』という根源的問いへの答えになっていく。
ーー
フロイトもユングも言えなかったが、アドラーは言っている。
般若心経も言っている。実はアドラー心理学と般若心経、の共通項。
それは今という現実的環境との接続点、その今の自分が考える未来への羅針盤。

可能性とは 問い の写し鏡としての 俗称 である

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