コトラーのマーケティング3.0

フィリップ・コトラーらが書籍「コトラーのマーケティング3.0」で示した定義、3.0にバージョンアップしたマーケティングの目的は、世界をより良い場所にすることであると述べている。

この流れのように世の中がなっていくとして、山頂から海まで距離、タイムラグはあるが、最終的に本質のプロセス、そのバックグランドを描ききれない、捉えきれないビジネスマンは、これから徐々に淘汰されていくと推測している。

逆に機械化もされないニッチな市場での体を使った単純労働などは重宝されていくとも言える。我々ベンチャーに必要な生き残る本質力とは、例えば掛け算、例えば我々に身近な掃除。掃除を仕事にしている会社がある。ビルメンテナンスの業界では既にロボット掃除機の業務版(ルンバの業務版)が登場している。

この先、ただの掃除事業では生き残れないが、ロボット掃除機に先行投資して人とロボットが効率よく手分けして、他社より1.5倍の速度で清掃を提供出来ることを売りにして、ロボットに付加価値機能などを盛り込んで掃除以外のビル保守の観点から仕事を作っていくことが出来るかも知れない。

生産性問題に関して。生産性の改善とは失業率の向上とも取れる。その計算式は、10人で行っていた作業Aが機械の導入で1人でできるようになってきた場合。その場合、生産性効率上昇率は10Aである。10人分の既存の作業者が不要になったという意味である。

これが、高性能なロボット、AIになれば、100A ,1000Aとかになる。ということは爆発的改善が必ず起こる流れで1000Aとか言った掛け算で失業が起こり始める。これを破壊的イノベーションと表現したりします。

生産性改善の本質は、今まで必要だったものがいらなくなる。これは人もモノも対象者。なので、この先には失職から次の人間の困難を解決する起業、もしくは起業を含む投資行為、それを含む商業の流れを変える革新的サプライチェーン化、、、消費者の悩みから起業が発生することの最短化、もはやそれ自体のパッケージングビジネスがポイントになる。

そのため、コトラーの話のような視点を実現している企業であることがこれからの時代に必要なポイントになる。逆に言うと社歴や会社規模、ブランド等は関係がない。問題を解決できる真の力があれば選ばれるし、そうでなければ選ばれない。これは消費者に対してもそうだが、求職者に対しても同じことになる。

「現在の資本主義に置ける経済理論の構造的な欠陥を認め、利己心と利他心を併せ持つ多次元的な人間像を取り入れることが必要」by ムハンマド・ユヌス  グラミン・グループ創始者

という考え方が優秀なベンチマークになり得る。1979年からはじまった同グループの取り組みであるが、実は日本では遡る事明治初期からこの考えで既に今の日本の豊かな土壌づくりの思想として始まっている。これを我々日本人は充分しっておかないといけない。

そして、これこそが世間が “東洋思想” と呼ぶものの中身…武士道、陰陽、卒啄同時の心、善悪、水戸学、幽幻、和魂漢才、士魂商才、易、朱子学などで学べる重要な心の在り方となる。(和魂漢才…菅原道真が説いた。日本独自精神と中国の学問を併せ持つ意味。

士魂商才…渋沢栄一が、菅原道真の言葉を受けて明治にやるべき商人の姿勢として説いた。武士の精神と、商人の才覚とを併せ持つ、ということ。

2者の共通点は大和魂を基盤として、論語を充分に学んでいるところ。これが基本演算として成しあげた快挙というのがマーケティング3.0の世界でも重要になってくると個人的には睨んでいる)

それは、ゴールを利潤を最大化させることではなく、人々や社会を脅かす貧困、教育、健康、情報アクセス、環境といった問題を解決すること。ただし、矛盾するようだがそれには自分自身の野望を充分に盛り込む必要がある。

政治や軍部というものに任せっきりにならない。人が生きると、必ず世の中には対局する2要素が生まれてしまう。これを一つにする努力として、オルタナティブ側(亜流側)として、我々一般企業側というのは政府の不完全な部分を見極めて、その問題を解決するため多くの人に、モノや価値観が行き渡るようにする必要がある。これのことを通称、実業と呼んでいる。

渋沢栄一は、これが完全でないと、国の富は形にならないと言っていた。元々政府高官である彼が、その身分を捨てて、当時「卑しい」と言われていた商人を始めた理由はその大きな大義の為だった。

彼の生き方と言葉をたどると、最大限個人は野望を纏って、この世界へそれを突き通す意志を持って生きる義務がある。例えば、その主流の一つはCtoC化していく、という革命の流れ。世界一のタクシー会社は?UVERになりましたね。

この会社はタクシーを1台も持っていないわけです。この場合はタクシー会社が潰れていきますね。でも運転技術のある個人はより活躍していくわけですそれでは我々に関係がある部分として、なにを確信とし研究や技術研鑽をおこなっていくのか?勉強量 練習量 作業量 経験量だけが不確実性を確実にするプロセスになってくる。もっというと、その結果を既に所有している状態で営業を、日常を、行う必要がある。

もっと具体的に日常でまず何が出来るのか?に落とし込むと言葉や元気を手法に持ち込む。=確信を自らに沈み込ませ常に外面と内面を視点に、エネルギーを廻らせる。その流れを高速化、高圧化させるには、確信が必要である。

確信を持っている人とそうでない人の違い。実はアウトプット習慣の違いだと言える。いくら勉強だけしてもそれは手に入らない。アウトプットし、表現し、それによる世間を体で受け止めなれければ自分で分かることはなにもない。

世界と自分はつながっている為。これについても、思い込みや気合の話ではない。物理で証明されつつある。直感でこれが分かり人は「気合だ」と言っているだけだと思う。

物理的証明。素粒子実験による「カシミール効果」で物質は宇宙的自然な状態(真空)で引き寄せ合う事が証明され、その原子核のエネルギー間隔を表す式が素数の個数の分布を示すと見られる式と一致している事が判明した。

一見なんの法則性もないと思われていた素数の出現パターンにも、宇宙の根源と関わる法則性が発見されている。物質はその構成で存在しているだけで、他の物質に影響を与えているということである。

真空ではない地球上では、空気という抵抗が存在しており、この空気中を廻ることができるもので通信するのが最も効率が良い。それが、「声」「見た目」「雰囲気」である。そして、そのためには良い意味での感情、熱量、伝える力 それを適切に表現する言語技術と結びつく

通信技術(ネットワーク、礼節、見た目の振る舞い)といった自己活性術を身につける。そしてアウトプットすること。それをしないと世界は自ら距離を置く事になると言う意味である。コレも瞬間的な作法では効果がないため、習慣化し常にアウトプットを出来る場所を自ら見つける必要がある。

現代、実査に目の前に人がいないという場合でさえ、ブログでもSNSでもセミナーでも交流会でも無数にそれはある。機会をノイズにするのか自分の一部にするのかは自分次第である。

一度ではわからない話かもしれません。その場合、現実から本質へ徐々に深掘りしていく理解が必要です。逆にピンポイントで真理や結論だけをブロック単位で覚えて言えるだけになっても、結局中身がスカスカで不安定になる。

気骨が出来上がっていない体はそこに運(習慣)や知識がついた所で本質がつかめないビジネスマンになってしまう。不安定、集中しない、体調を崩しやすい、そういう時、そういう人はそのサインです。

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