サンドボックス制度の可能性

学校が社会に出るための訓練の場として、強く定義されるべきだな
と最近強く思いました。

シンガポールはサンドボックス制度を上手く活用して官民一体となったビジネスショーケース的な展開に成功しています。

私の理想としては、このサンドボックス制度と教育を上手く組み合わせると子供達にとっての教育と将来の仕事のイメージの実態の意識の溝が狭くなり、良い効果を生むのでは? と考えます。

 

日本での教育分野のニュースで「学校でのプログラミング教育導入、義務化が予定」

というのがありました。
ITを自国産業としてもコアな位置に確立したい、その分野的方向性はとても良いと思うのですが、
例えば必ずしもコンピューター言語を扱ってのシステムの構築や、間違い探し、計算式の組み立て、アルゴリズム的思想が得意だったり興味が向く子供ばかりとは限りません。

ITの面白さに気づいてからのプログラミングは非常に有意義ですが、子供によって全体像が見えるタイミングや面白いと思うかは全体的にゆったりと余裕と気付きの機会の数を発生させる必要があります。
とにかく全体像をゆっくりと見せた上での選択肢が増える事=可能性の拡大
がなるべく低学年(あるいは低年齢)のうちにあることが大切だと思います。

 

そこで向き不向き多様化の補助も兼ねて
例えば、学校での子供同士の商売をサンドボックス的思考を組んで(踏み台の踏み台を作るイメージで)、実施する事が学童環境〜能力向上〜社会での活躍性のUPの側面から有用なのでは、と考えます。

学校内で実施するのが難しい場合は、課外でも、またそういった教育サービスが広く普及している状況を作る事でもよいと思います。
仕組みがあるうえでの各科目の勉強の必要性、浸透具合もだいぶ違うはず。

 

これまで局所的な能力が個人個人に蓄積する事は日本的には推奨されてきましたし、それが美徳であり、成功へのルートとして認められやすい環境でした。

しかしこれからは 突き抜ける能力も大切ですが、汎用的でなるべく多くの日本人が活躍するためには、「構成力」 が試される世の中になっていくのではないか、と考えております。

元々は日本人は創意工夫、1を2にするような考え方は得意分野です。
私はその観点を広げる意味でも、知識やイメージのリレーションシップ、学問がベースにあっての

・技術の可能性
・商売の可能性
・発見の可能性

 

これらの可能性が組み合わさって、どんな風に発展し得るか?
という前提の取り組みで、失敗をおそれず、受け入れながら思想を具現化させながら、小さな枠組みでも連携、流れを発生〜完結させるように育てていける事が望ましいのではないでしょうか?

 

国としての取り組みとしても、内外的にスピード感のマイナスイメージを払拭出来る良いチャンスになりそうです
(実際にシンガポールの事例で、制度を利用したポリシーバルという保険契約を容易に管理できるアプリを提供するベンチャー企業は、監督官庁との折衝で成長の速度が遅くなると心配されていた。だが実際は、寧ろ国側も事業に関わる建設的な提案を積極的に行い、アジア初の金融ソリューションベンチャーを自国から押し出したいという、今の世界の金融情勢を読んでのスピードかつ親身な対応をされたらしい)。

 

教育の現場自体を創出してサードパーティー的に提供していく事は我々中小ベンチャーに出来ることの一つでもありますし、またそういったベンチャーも昨今は少しづつ出てきております。

各家庭でも意識のポイントを少し変えるだけでも、出来ることなのではないか?

 

と考えたりしています。

p.s我が家の家訓には「親は子供に教えれることを常に磨いておく」というルールがありまして、それを清書しながらふと、思った事でした。

 

CEO 舟井

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