野球スコアブックアプリ誕生秘話  第3話 「回想:バンドメンバー ~ 大きな揺れ」

私が音楽への情熱が薄らく事なく続けられたのは、紛れもなくバンドメンバーという仲間のおかげである。

 

前回、お伝えした山籠もりの件とこれからお伝えする下山するきっかけの件、上京の話の全てにバンドメンバーが絡んでくる。

 

オレンジのシャツが当時の舟井である
オレンジのシャツが当時の舟井である

ここで、ウチのバンドメンバーを紹介したい!(ライブ紹介風に!)

 

まずは、ギターボーカルのF。大分県出身。後にバンドの精神的支柱となる彼とは、大学の軽音部で出会う。

知り合った当初は、お互い別バント同士で、互いの顔は知っているけれど、特に交流する事もなく…という時間がしばらく流れた…。

 

Fは、大学の軽音部在籍時に某音楽事務所に所属し、プロへ楽曲提供をするなど、バリバリのプロミュージシャン志向らしいぞ、ということで特に接点はなくとも、彼の情報は私の耳へと入ってきた。

 

同じ軽音部だった為、彼のライブはよく聴きに行った。

彼の音楽センスもさるものながら、彼の観客の心を一瞬に掴む雰囲気の作り方に感心した。

例えどんな曲を演奏したとしても、それは彼の型取りを得た曲になり、ヘタウマな演奏とともにどこかコミカルな、喜劇の要素を含んでいる…不思議と観客を笑顔にさせ、乗らせてしまうという彼にしか出せない空間作りだった。

 

そんな彼とある日の学食で偶然会い、一緒に食事をする事になる。

「この前のライブの、あの曲、良かったよ!」などと会話をし、お互いを褒め合う。

これは、バンドマン同士のあるあるなのだが、この時に実は、

私がFに対して、尊敬の念で見ていたのと同じように、Fもまた、私の事を尊敬の念で見てくれていた事を初めて知る。

 

お互いをリスペクトし合える関係になってから、「俺達でバンドを組もう」という話が

ごくごく自然な流れのまま決まった。

 

どっちから持ち掛けたのだろう?よく覚えていない。

ただ、そんな提案すらもいらないぐらいの関係性がFと築けていた。

「舟井君が居ないとバンドが成功しない」と訴え続けてくれた、最大の理解者であり、

私の人生に影響をもたらした人の一人は間違いなく彼である。

彼の評価もあって、当時余りメジャーではなかったPCで音楽を作るということを先駆けてやっていた私の趣味も一気に加速化し、それにつられてITスキルや知識、ネット周りのスキルも自然に身についていった。

2001年くらいだったと思うが、執筆時点の2016年現在から15年前で、ストリーミング配信や海外メディアへのアプローチ等試みていた記憶がある。それでいて音源はカセットテープで販売するのが結構未だまだ普通だった、中々のミクスチャーな状況だ。

彼の口癖が「俺達(のバンド)で一旗上げようぜ!」だった。

 

ある時、九州でバンドコンテストの大会でNo.1になりたいから、それに出ようと提案があった。

彼の音楽事務所の人脈で、大物プロデューサーに営業しに行く等、

後に四人で上京を決断し、世田谷区の千歳船橋で4人一つ屋根の下で暮らす事になる。その決断も彼によるもので、バンドの歩みをひたすら前に進める事、どうやったらプロになれるか?を突き詰めて行動する

プロ意識と目的達成の突進力の塊のような男。それがFだった。

 

そのFの紹介でバンドに入ってきたのが、ドラムのA。香川県出身。

彼とは大学3年の終わり頃に出会う。最初は、見るにも聞くにも耐え難いほど下手くそだったが、

音楽への情熱は、誰よりも強いものがあった。揺るぎない魂を感じた。

半年の山籠もりを終わらせるきっかけになったのもAだ。

「24時間ドラムの練習がしたいから付き合って欲しい」という申し出を受け、私は山篭りを卒業し、割りと大分でも都会な駅前で二人暮らしを始めるのだ。

24時間練習する為に、電子ドラムを購入。

 

えっ?金の無い中、どうやって買ったの?とお思いでしょう?

 

ちょうどその頃、Aがバイク事故を起こし、その示談金が入った事もあり、その金額で購入したのだ。

「事故があったから、電子ドラムが買えた。良かった。」

 

何が良かったのだか…。(笑)

こちらが心配するのをよそに、ひたすら練習に打ち込んでいた。

生まれ持ったセンスや経験とか関係ない。これから頑張るぞと、とにかく真面目。それがAだった。

 

そして、最後にバンドへ入ってきたのが、ベースのH。北海道出身。

なんと、バンドメンバー募集の張り紙を見て、入ってきてくれたのだ。

 

裸の大将の山下清のような見た目と自信溢れる少し威圧的な風貌ではあったが、

張り紙が見られている事、実際にそれを見て、入りたいという人が目の前にいる事に

嬉しくもあり、激しく興奮した。もちろん、バンドメンバーとして向かい入れた。

 

「何故、北海道の人が大分にいるのか?」との問いに関して、

彼は大手企業に勤めており、最初に配属されたのが大分だという。

娯楽が何もないから、こんな所(大分の皆さんごめんなさい)早く出たい。が口癖で、

Fの上京の提案を、最も食い気味に乗っかったのが、Hだった。

 

当初、自信家に見えたHだが、付き合いを深めていくごとに、実はネガティブな一面も見せる。

大らかな雰囲気があって、自分の役割に忠実。

人間的にはよく分らないけど、憎めないヤツ。それがHだった。

 

 

上京途中の静岡の海にて。
上京途中の静岡の海にて。

……

………

そんな懐かしい昔の事を回想しながら、プレゼンの準備をしていた。

時間は、午後2時45分…。まさにプレゼンの資料を印刷している最中…。

突如、大きな揺れに襲われる。

揺れが長い…。

 

安物のラックの最上部にプリンターを置いていた為、印刷時にプリンターのその振動でラックが左右に揺れるのだが、いつもの揺れとは大きく明らかに異なっていた。この揺れこそ、東日本大震災である。

 

〈この続きは明日の12時で〉

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