wp-external-links domain was triggered too early. This is usually an indicator for some code in the plugin or theme running too early. Translations should be loaded at the init action or later. Please see Debugging in WordPress for more information. (This message was added in version 6.7.0.) in /home/users/1/cloudproduction/web/cloudproduction.co.jp/blog/wp-includes/functions.php on line 6260wordpress-seo domain was triggered too early. This is usually an indicator for some code in the plugin or theme running too early. Translations should be loaded at the init action or later. Please see Debugging in WordPress for more information. (This message was added in version 6.7.0.) in /home/users/1/cloudproduction/web/cloudproduction.co.jp/blog/wp-includes/functions.php on line 6260The post 世界環境ネットサミットのお知らせ。 100カ国多言語自動翻訳にて言葉の壁を超えて出展が可能です。 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>
しかし、必要な物流は可能な限り動きますし、オンラインで提供可能なコンテンツ(音声、画像、動画、ノウハウ)は流動します。
再び元気に世界の貿易や人の行き来が復活する日までやれることは沢山あります。
寧ろ、物理空間の縛りから強制的に考え方や国際的交流の在り方を飛躍させる方法を深化させるタイミングだとも言えます。
SDGsに取り組むパートナー企業が「世界環境ネットサミット」を立ち上げました。
弊社は、偶然この状況になる前から状況と需要に併せた
「デジタル戦略策定」
と
「海外の人脈」
を使って、国際間で出来ることを模索し各種企業様へ提供して参りました。
そしてこの度、「世界環境ネットサミット」の実行委員として
世界へ御社の価値を広めるお手伝いをさせて頂きます。
↓↓↓↓
世界環境サミットとは?
①100ヵ国語に対応した多言語自動翻訳システム(世界初)を 用いてバーチャルシティというフィールドをオンライン上に 構築。
②ブース出展企業はSDGs17項目から1項目を選択。オンライ ン上でライブ配信を行い、世界中の企業と人々にPRできる。
③一般視聴者は、国籍と言葉の壁を越えて、世界中から集まっ た出展企業によるライブ配信を無料で視聴可能。
というイベントです。
■出展特徴■
①企業は、オンラインツール・ZOOMを活用します。
②出展企業は、世界中から集まった企業や個人に向けて、決められた時間内でライブ配信ができます。
③自社のSDGsへの取り組みや事業を世界にPRできます。
④世界100ヶ国語に自動翻訳できるツールを、出展期間中は無料 で利用ができます(自社のHPが閲覧国の言語(100カ国語)に 自動翻訳される)。
⑤オプションで多言語翻訳チャットをつける事ができ、海外の事 業者と母国語でチャットを行い、商談をする事ができます。
■出展費用■
出展料 1コマ(1時間)3万円。(税別)
出展企業申込フォーム
→ https://forms.gle/CCNYppnZXJLexFeH6
ーーーー
↑お申込されましたらお知らせいただけましたら幸いです。
必要に応じて各種サポートさせて頂きます。
国際展示会やビジネスコミュニティーが中止、延期が立て続けの
このタイミングだからこそ、価値も注目度も高くなるであろう世界初の試みです。
弊社ではこちらのプラットフォームのご利用の企業様の、その後の世界進出に於ける各種サポート、専門家ネットワークのご紹介が可能です。
一例として、以下です。
・個別交渉のサポート、通訳、翻訳
・現地営業代行 ※ZOOM等オンラインツール利用、規制解除後は現地営業
・グローバルでのオンラインマーケティング
・バイヤーネットワーク、セラーネットワークのご紹介
・あらゆるオンライン戦略 × アナログネットワーク のご提供
・物流支援
・貿易廻り支援
ーー
前人未到の試みは、色々と問題も起きるとは思います。
チャレンジすることで新しい道徳から起き上がる経済が生まれるかも知れません。
当社も全く準備していませんが、日本と海外支社より出展します!
是非、ご一緒しましょう!
The post 世界環境ネットサミットのお知らせ。 100カ国多言語自動翻訳にて言葉の壁を超えて出展が可能です。 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>The post Maker Faire Kyoto 2019観覧レポート appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>
こんにちは、クラプロの和田です。
GW中に5/4(土)~5/5(日)に開催されたMaker Faire Kyotoに行ってきました!
今回の投稿では会場の様子を簡単にですがご紹介していきたいと思います。
まずMaker Faireとは何なのかという部分ですが、簡単に説明するとアメリカのテクノロジー系DIY工作専門誌「Make」の主催する、DIYの展示発表会です。
この展示会はアメリカのみならず、世界各地で開催されてます。
詳細は以下リンクをご参照ください。
https://makezine.jp/event/mfk2019/aboutmake/
それでは早速展示作品のレポートに入っていきます!
会場に入るとすぐにロボットバンドの演奏が出迎えてくれました!
こちらは音楽研究所さんの展示です。
演奏だけでなくロボットのデザインにも遊び心を感じます。
こちらは演奏と解説の動画です。
ドラムロボットのこさんくん2号の動き等は手首のスナップを利かせてたり、腕をクロスさせていたりと動きを見るだけでも面白いです。
こちらは(ほぼ)実物大のR2-D2の展示です。
クオリティもさることながら、驚くべきはご自身で寸法をとって木製で制作をしているという点です。
会場の展示では詳細な政策過程の写真もありました。
制作過程、実際に動く様子等は以下Youtubeの動画からもご覧いただけます。
操作はリモコンで行ってます。
動いている様子を見ると音声や移動、頭の回転等から再現性の高さを感じてもらえると思います。
スピーカーが内蔵されており、本物さながらの電子音を発します。
足の部分については電動キックボードを2台購入して、一度も使わずに分解して本作品に流用したとのことです。
こちらは@dm9recordsさんの自作DJ機材です。
写真右上のRaspberry Piに音声データが入っており、レコードを変えなくてもRaspberry Pi側で音声を選択することによって再生される曲を変えることができます。
レコード盤には音声情報は入ってませんが、盤を操作することでRaspberry Piが反応しDJプレイを行うことができます。
いんたぶさんの作品です。
カメラ付きのリモコン操作ロボットの展示で、カメラの向きもリモコンで操作できます。(画像には映ってませんが、カメラからのライブ映像もモニターに出力されてました。)
今回実演は見ることはできなかったのですが、他のデバイスと対戦ができる機能もあるそうです。(そう思って見ると背中についているのはミサイルパックみたいですね!)
MakerFaireには電子エレクトロニクス系以外の展示もありました。
こちらは長谷川 敦子さんの自作ミニチュアの展示です。
昔話をモチーフとしており、笠地蔵や狐の嫁入り等の作品がかわいらしく再現されてます。
また今回の開催では自作楽器によるライブ演奏のプログラムもありました。
谷浦朋文 a.ka. 世紀マ3さんの演奏です。
画像はゲームボーイを電子楽器に改造したものを演奏する様子です。(なんとその数100台以上!その数を集めるだけでも凄いです!!)
展示ブースでは実物に触れることもできます。
ゲームボーイには実際にゲームカセットが挿入されていて、十字キーとA、Bボタンで実際に遊ぶこともできました。
筐体右側面にトグルスイッチとツマミがあり、それを使ってゲームの音声に影響を与えているようです。
動画はモータルコンバットのカセットを挿入して演奏している様子です。
音声が予測不能な変化をしていることがわかると思います。
続いてYasuskiさんの演奏です。
楽器は自作のデジタル式テルミンを使用してます。(テルミンとは楽器に触れずアンテナに手を近づけたり離したりすることで演奏できる楽器です。)
アナログ式ではなくデジタル式を採用することで和音の形成等の機能を実現してます。
Youtubeにアップされている演奏動画です。
展示ブースでは一つだけでなく複数のテルミンの展示、さらに自作カリンバ(だと思います。違う楽器だったらすいません…)も展示されてあり、手に触れて演奏することもできました。
レポートは以上となります。
MakerFaireの国内での開催は今年は東京でも予定しており、2019年8月3日(土)、8月4日(日)に開催予定です。
モノづくりや電子デバイスに興味ある方であれば楽しめるはずなので、行ったことない方は東京の開催に参加してみてはいかがでしょうか?
私も自分の作品をMakerFaireに出展することを夢見て頑張ります!
The post Maker Faire Kyoto 2019観覧レポート appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>
The post 第2回PC瓦版 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>
The post 第1回 PC瓦版 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>The post 野球スコアブックアプリ誕生秘話 第10話(最終話)「その後とこれから」 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>連載を読んで頂きありがとうございます。
厚くお礼申し上げます。
この物語も本投稿でひとまず一区切り、最終回となります。
また、一番最後にどれだけいらっしゃるか分かりませんが、これを最後迄読んでいただきました読者の皆様へ向けたメッセージがあります。
こちらもご覧頂ければと思います。
それでは、まず本編をお楽しみ下さいッ!
ーー
第10話「リリースその後と これから」
吉祥寺の交流会の活動に注力し始めた時を同じくして、Hから相談というか、、、本人的には決定事項の決意の報告を受ける。
「会社から抜けることを決めた」と…。
アプリ制作も思いの他、時間がかかり過ぎ、私達の資金の持ち出しも
開発前に想定していた金額よりは、遥かに超えていた。
私は何としてもアプリを形にしたい一心で、なんとかしてやってきたが、そのために無理目な受託案件やコンサルティング案件も前のめりに獲得しながら生き延びようと頑張った。
Hにはとっくに限界だったに違いない。
Hは、当然自分と自分の家族に対して幸せになる責任がある。
彼には彼の人間としての道がある事を私が完全に無視していたのだ。
彼がこの話を持ち出して来る前の話になるが、
会社として開発にばかり時間をかけて、そこに対する収入が入ってこない事を危惧していた。
そこで、Hが逆提案してきたのが、H自身のエンジニアとしての労働力をニーズのある企業に提供するという、現在のクラウドプロダクションの事業の一つである請負契約による仕事を取ってくる方法だった。
当時、そういった、スタッフ自信にスキルを提供するようなモデルのビジネスなどの知見も経験もなかった私は、真剣に考える事もなく、
Hの逆提案を断る事になるのだが、今の弊社の主力事業の一つになっている事を考えると、やはり彼は誰よりもクラウドプロダクションを考えて、その先に何が必要で自分に何が出来るかも、私以上に理解していたのだと思う。今考えても本当に凄い相棒だし、とびきりに優しい友人だったと思う。
当時の私は、交流会の活動とアプリのリリースで頭がいっぱいで、他の事が入る余地はなかった。
おかしなことに、「収益が改善するから受託や請負をやりなよ!」
、と同じような提案を複数受けていたのだが、「それはやりたくない」と断っていた。経済的にはありえない選択を毎日とっていたが、私にとっては必要な判断だったのだろう。
Hとの亀裂が入ってから半年ほど時間が流れた。
野球スコアブックアプリが完成、リリースした日には既にHはクラウドプロダクションには在籍していなかった。
在籍はしていなかったが、責任感の強いHは、アプリ完成に向けて、転職活動や別の会社に勤めてからも、
何かとアプリ開発を手伝い、仕上げてくれた。
本当に凄いと思う。今でも深く感謝している。
一度は、同じ目標を共に目指した仲間が、結果、別々の道を歩む事にはなったが
アプリがリリースでき、後の2013年のAdobe社アワードに繋がった事で、その苦労は少し、報われた。
アワード受賞までの道のりも決して順風満帆ではなく、途中でステークホルダーが抜けたりなどの波乱を何とか潜り抜けての表彰だった為、私としてアプリリリースからアワード受賞までの1年間はとても感慨深いものとなった。
アプリをリリースしたものの、エンジニアのHが居なくなった事で、運用はどうするのか?
という話で、Hと、更に関連会社や新たなステークホルダーと議論、口論になり、「(Hがいなくなるのであれば)クラウドプロダクション、このサービス運用してて本当に大丈夫?」などと揶揄された事もあった。
その後、様々な局面があり(長くなりすぎるので今回の記事では割愛する。とにかくかなり多方面の方々から助けて頂きました…その話はまた別の機会に)弊社以外の関連法人はプロジェクトから離れる事になり、2転3転…転々とあり新たな仲間と外部法人の力をかりて運営している。
2017年以降、野球スコアアプリ”FIELD AiD SCOREBOOK”はこれまで散々お世話になった、各ステークホルダー、配信元であったApple、Google, ブルームーンエンターテイメントとの関係を解約・清算し、クラウドプロダクションのユーザー様への直接ダウンロード提供、販売のみとなる。
その後の展開は…野球に於ける利便性改善のための様々な施工を準備している。
今後にぜひ期待していただきたいと思います。
そして正式な発表を待って欲しいです。
色んな方の力を借り、必死で勉強し続けて、時には見返す気持ちで、時には感謝を還元する気持ちで、時には絆や志を引き継ぐ気持ちで、今日があります。
東日本大震災から5年が経ち(2016年3月執筆現在)、まだ震災の傷口が完全に癒えたとは言えない状況ではあるが、
おかげさまで、アプリのダウンロード数は、日々順調に数字を刻み、少しずつではあるが、ほんのちょっとづつ「世の中に光を照らせている」という喜びを感じながら、日々仕事をしている
。
少年時代、野球を誘われるのがおっくうだった私が、今は野球をする為のアプリを用いて、
アプリのダウンロードされている数だけ人々を笑顔にさせている。
矛盾だらけで何だが笑えてくるのだが、結果、岡本太郎氏の言葉にあった
「自分の中に毒を持て」を少しは実践できているのかな?と良い解釈をしている。
己が何者なのか?己の使命は何なのか?
それを確かめる為、今日も私は仕事に邁進するのである。
〈了〉
私、舟井から皆様へできる事。
弊社、クラウドプロダクションが野球スコアブックアプリでできる事は、
弊社の社訓にもあります、
野球を通じて「世の中に明るさを循環させる」です。
現在市場における利用割合でいうと、随分と認知されてきてはいますが、野球全体人口の1割も利用して頂いておりません。
「世の中に薄日を射した」ぐらいというのが現状で、「世の中を明るく」の状況には至っておりません。
ですので、もっと野球に関わる方のお役に立ちたいと思っております。
皆様の身の回りで「野球チームがなかなか強くならない、手書きでスコアブックを書いており情報の収集・分析に頭を悩ませている少年野球のコーチ」等はいませんか?
高校野球の監督やコーチをされている方はいませんか?
中学の硬式野球クラブ(シニアリーグ)に関わっている方はいませんか?
社会人野球に関わっている方はいませんか?
少しあなたの身の回りに野球に関わる方を思い浮かべて下さい。
もし、対象者の方がいらっしゃれば、以下のURLをご紹介頂ければ幸いです。
FIELD AiD SCOREBOOK製品ページ
http://fa-scorebook.com
iPadアプリインストールはこちらから
アプリインストール https://devapp.fa-scorebook.com
相手から喜ばれ、あなたご自身が感謝される事と、私がお約束します。
万が一そうでなかった場合は100%返金と対応致しますのでご安心ください。
人から感謝されるとその感謝が廻り周って、ひいては自分に戻ってきます。
また、相手から感謝される行為は、それを他の誰かが必ず見ています。
経営をしていると、いつも様々な方々に助けられます。
感謝のエネルギーが思わぬ形で帰ってくる事を日々経験しています。
その体験をぜひ、皆さんにもして頂ければと思っております。
今まで、野球スコアブックアプリ誕生秘話を読んで頂きまして本当にありがとうございました。
皆様にとって、使ってより野球が楽しくなる手放せない道具の一つとなれますように。
The post 野球スコアブックアプリ誕生秘話 第10話(最終話)「その後とこれから」 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>The post 野球スコアブックアプリ誕生秘話 第9話「アプリのリリース」 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>当時、地震の影響で世間では、自粛ムードが漂う中、
「野球」という趣味・嗜好の業態を推し進めて良いものか?悩んだが、
「被災地の子ども達へ、野球ができる環境になった時に、このアプリがあって欲しい」
と思ったし、「世の中を明るく照らす」為に、微力ながら自分の出来る事と言えば、このアプリを完成させる事だった。
結果、リリースに向けて開発を進める事になり、
リリースが2013年3月。約2年の歳月を要する事となる。
理由は至極明確…。野球を知らないが故のタスク、フローの抜け漏れが多く、
一旦作っては、エラーが出たり、不足の機能が発覚したため、一から作り直し…。
それが無限にループする。
このプロジェクトを始めようと思った時によぎった直感が見事に命中するのである。
もちろん、野球を知らない私をサポートする、監修や企画側としてフィールド検証に協力していただいている方達もいる。
野球業界歴の長い専門的な方とプロジェクトを進める中で、スコアブックの付け方には、例えば同じ早稲田式でも様々なルールがあり、そのルールの統一や難しい判断にも多くの議論を交わし、進めていく事と開発の巻き戻し、それらを切り盛りすることに時間がかかった。
今思うと、穴があれば何とやら…と思うほど何度も壁が立ちはだかり、解決の手段が見当たらず八方塞がりの状況下で、ちょっとぐらい休みたい…と弱音を吐きそうになりながら、そこを気持ちを入れ直し各関係者の音頭をとりなおし、自分の目的ややりがいを鼓舞し、なんとかして前に進む、当時はそんな状況だった。
実際の野球でも守備が悪く、エラーが多い試合は、話にならないが、そもそも全体像の把握が甘く、基本的なゲームのルールを知らないが故の反則の笛を度々鳴らされる、そんな感じだった。
実践経験の少ない、寄せ集めの草野球集団。
それが、当時の当社だったのかもしれない。
そのころ開発場所は、自宅と自宅の真横に賃貸部屋を借りており、そこが事務所となっていた。
そうなると基本的に私の行動パターンとしては、自宅とすぐ横の事務所の往来しかない。
なるべく経費も生活費も掛けないように、私がほぼ毎日スタッフの分も含めた食事を作っていた。外食なんてとんでもない!みないな状態。
そんな山籠もりにも似た環境がしばらく続いた後、
Tを始めその他デザイナーさんなどの技術者とは遠隔でのやりとり、Hとは社内の僅かな他案件と兼任してもらいながら、私自身は、開発、動作テスト、野球ルールとの整合性確認、仕様設計のやりなおし、追加開発、そして追加資金の調達、事業計画の修正、…等のビジネス面含めた工程管理をしつつ、地道に歩をすすめていた。
途中で何度も関係者と衝突し、進め方や思想に関しても何度も議論があった。
サイトの情報設計と実装、ライティングやデザイン周りも完成してきつつ、Appleへのアプリの申請を数回繰り返し…関係者皆、本当に頑張って頑張り抜いた結果、
2013年3月、ついに「FIELD AiD SCOREBOOK」が正式にリリースとなる!
企画草案時期からカウントすると実に2年掛かりのプロジェクトである。
リリースしたからと言って全く気は休まらない。
ここから実際のユーザーからの反応をみてシステムを成長させていくフェーズにはいる。
やっとリリースできたという開放感はあまりなく、というのも、リリース時点でも実は未だまだ開発タスクが5~60件は積もっていた。
最初のユーザーお申込みを頂いた瞬間を忘れられない。
「パンフレットを見た」という問い合わせから、アプリをダウンロードして頂き、そこから若干の工程を経てからでないとweb会員になって頂く事は叶わない当システムで、 会員になるまでのハードルが高いのでは? 金額は適切か? 使いたいと思ってもらえるだろうか?
いやこの方法が結果的に一番使ってもらいやすいはず…
等など不安も自信も混ぜこぜの心境で、なんとなく延々と続くと思われる開発作業を継続していた当時。
各種プレスリリース等が公開された10日後くらいだっただろうか、お申込みのメールが関係者全員へ通知された。
開発チームの我々は、「おおお~!」「どこどこ?どこ経由だろう?」「本当に入会してくれた!」等と一気に盛り上がった事を記憶している。
そこから季節が春に向けて暖かくなるに連れて立て続けにユーザー数が増加していった。
そのちょっと前に遡るが、何の気まぐれか、住まいのコミュニティーでのボーリング大会(私はボーリングもガーターしか出せない)に参加し、その際に出会った、接骨院のオーナーの誘いにより2013年12月から吉祥寺のとある経営者が集う交流会へ足を運ぶ。
「野球スコアブックアプリをPRするのに良い場かもしれない」という期待の下、入会する。
そういった私の動きが、小規模組織では、特に組織内の各人の動きが必要以上に自分自身の手足のようにすぐに伝播する。時にそれは嬉しくもあり、うざったくもある。
不思議なもので、四六時中顔を付け合わせて仕事をしていた仲でも、
一旦相手の意識が外に向くと、途端に意思疎通が上手くいかなくなる。
私とHとの関係も例に漏れず、まさにそれで、
少しずつ歯車が噛み合わなくなっているのを感じていた。
この時期、ふと、なんだか不安というか既に潜伏はしてる事を知っているが発症を薬でわざと騙し騙し送らせている内蔵にずしっとくる病気に似た、嫌な予感があった。
だが、私は出来たものを今度はPRし、運営する為のコストをプロジェクトへ投入し、継続できるようにコントロールしなければならない。
社長に投資していただいた開発資金は底を完全についており、これからの野球スコアアプリの売上をアテにするしかない。
それに、爆発的な要素のあるプロモーションを行うわけではないため、すぐに売れ始めるわけではなく、やはりこの野球スコアアプリを維持しながら、地域に根ざして細やかな仕事を信頼を築きつつ獲得していかねばならない。その意識に思考も行動も取られていた…。
唯一の共同創業者のHと、お互いが違う景色を追いかけ始めていた事にこの時の私は知る由もなかった。
The post 野球スコアブックアプリ誕生秘話 第9話「アプリのリリース」 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>The post 野球スコアブックアプリ誕生秘話 第8話「東日本大震災への想い」 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>翌週の3月11日に三軒茶屋の社長とのアポイント。東日本大震災…。
当然、野球スコアブックアプリの話は流れた。
話が流れる直前までは、自分の思考、自分達の成功、綿密なシミュレーション、市場の攻め方を考える事でビジョンが研ぎ澄まされている状態だった。こういうのを、「ゾーン」とか「トランス状態」「脳内麻薬が出てる」と言うのだるうか?
この状態で仕事がストップしてしまった事はかなりショックだったが、もっとショックだったのが、
あの被害と、津波に飲み込まれるあの映像…。これが、全てを吸収してやるという状態=ゾーンの状態で入ってきた。
しかしそんな事を言っている場合ではなく、日本中が地震により、ただならぬ重い雰囲気に覆われていた。
自分の内側に向いていたアンテナが急に恥ずかしく、被災地で困っている方々を目の当たりにして不謹慎、不誠実な気がしたし、無力である事を感じた。
私のベンチャー意欲が一瞬寸断した。
あのアポの直後、Hは、野球スコアブックアプリの案件が暗礁に乗り上げたにも関わらず絶えず共にいた。
共にいた…という表現はある意味正しくない。
それぞれ一人で自宅にいる時も「常につながっていた」が正解だ。会社設立当初は事務所もないので、私の自宅で私の彼女(現在の妻)も含めた三人でいるか、もしくは私が一人ないし彼女と二人きりの際でも常にHとSkypeで繋げながら仕事するか、という謎の常時接続状態が始まった。
その後、福島原発も爆発して、建屋が吹き飛び、東京近郊にも放射線の被害に見舞われそうになった時…
余りに多くのまことしやかの情報が飛び交う中、「一旦故郷の宮崎に帰ろうか?」という考えが頭をよぎったが、それを止めてくれたのもHだった。
彼と会社を作ったのだから、というのも有ったのかもしれない。
ITの事業はどこにいたってできる、ならこの機会に故郷へ帰ろうとするのも割りと自然だったかと思うが、今思えばその判断をしなくて本当に良かった。この震災直後の時間が今の私を作る大事な時間だったからだ。
しかし、その当時の私はとにかく情緒不安定だった。
それは、地震の影響によるものもあり、福島や岩手などの映像を見ては、涙を流し、
事業を継続していけるか?そもそもベースを作ろうという時に日本という国が揺らいでいる、そんな不安とも戦っていた。
そんな不安定な私に、いつもと変わらないトーンで、淡々と仕事をこなし冷静な情報のみを私と議論してくれたのがHだった。
当時、地震による世の中の影響は図り知れないほど大きかった。
事業が立ち行かなくなるのではないか?(父親と同じ末路を辿るのではないか?)
毎日眩暈がするほどの恐怖と戦っていた。
自分が考えてきた事は間違っていたのだろうか?
それどころか、野球の利便性を追求している場合なのか? という気持ちと
無知な自分への恥ずかしい思い、誰の役にもたてない悔しさ
それでも持ち金を全て投資して、自分が立ち上げた会社で収益を上げていかなければならない…という狭間で、自分に出来る事と言えば、被災地の皆さまの力になれるよう、手元の小銭をかき集めて精一杯の募金をしながら、祈り、過ごす…。これぐらいの事しか出来なかった。
この時に、知らないといけない情報は世の中に沢山あるが、全ての悲劇を受け止める事はできないし、知ったからには行動を考えたくなるのが、人の性だ。
そして、人間、個々にできる裁量を強制される必要はない、情報の入手の方法や量も自分で決めて良い事にも気付き、情報入手先の重要性に改めて考えさせられた。
一週間ほどじっとTVを眺め、結果、我が家からTVを捨て、2016年現在に至るまで私の自宅にはTVが存在していない。
TVが無いと詳細に分からない事も沢山ある。しかし考えた結果、
しばらく自分に必要なのは、自分にしか出来ない生き方、以前社長が私に話して下さった「世の中を明るく照らす」事だと悟った。
そのために必要な事だけできれば、良い。
俺のやる気まで迄自粛して誰の得になるんだ! と。
地震の前の心の状態。研ぎ澄まされた探求の続きに戻る必要がある。そう判断した故に、TVという情報源を遮断した。パソコンで仕事をしていると、どうしても入ってきてしまうSNSやニュースサイトからの情報も、そもそもブラウザを調査以外で開かない、開く時間を決めるなど、業務ルールを自ら決めた。
そして…月日は流れ…。
あのアポイントから約1ヵ月後、三軒茶屋の社長から連絡がくる。
それは、冷蔵庫に食料を詰め込んでくれた「あれがあって、本当に助かった」というお礼と、発注(資金投資)の話であった。
アプリ開発の止まっていた時間が、再び動き出した。
〈この続きは明日以降また。〉
The post 野球スコアブックアプリ誕生秘話 第8話「東日本大震災への想い」 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>The post 野球スコアブックアプリ誕生秘話 第7話「合同会社クラウドプロダクション設立」 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>その条件が、社長がオーナーとなる会社とは別立てで、「会社の設立」であった。
当初、法人設立をどうしても避けたいと思い、社長の会社の中で、一部署やらせてもらおうとしたり、Hを社長にしたてようとしたり、ココでも逃げ根性が働いて画策していたぐらいだった。(結果、社長からもHからも断られるのだが…。)
では、何故、「法人設立を避けたかったのか?」
それは、私の幼少期から青年期にかけて、父が事業に失敗して負の側面を経験しているからに他ならない。
父が事業に失敗(本当は執筆時2017年現在でも休業中という表現が正しいが)した当時は、家の中は、裸電球1個のみの薄暗い室内で、とにかく暗かった。
負の感情を家庭内に持ち込み、その雰囲気を醸し出す父に対し、青年期の私は、仕事は不安定な事をすべきではない、お金がかかるような無駄なことをしてはならない、という様に感じ取っていた。
未知へのチャレンジは、きっと自分の心の中、想像の中だけで許される世界なのだろうと心の中に止めていた。だから、後に音楽と出会ってからは「理想を音に表現することが許される音楽の世界」にハマったのだと思う。
祖父祖母が農家で、野菜だけはあったが、今でも脳内に刻まれているのは、家族の誰もが父に対して口を聞きにくい雰囲気の中、薄暗くなった部屋でなんとなくどんよりと将来なんてないんだよ…的な言葉がポツリポツリとかわされていた。そんな幼少期の体験をもう二度としたくない、これから自分にできるかもしれない家族に味あわせたくないと思うのは人として当然だろう。
本当は会社の代表になることとは関係がない話なのだが、この時点の私の中の「法人設立」は、完全にブロックとして立ちはだかっていた。
一方で、法人設立に想い悩む私は、自分との対話を進める。
この時、人生で何度か登場してきている「自分」が話しかけてくる。
「この選択は重要だぞ。お前の薄っぺらい経験値で決めるな。何を成し遂げる為に生まれてきたかは分からないが、その使命は、この先(法人設立)にある。逆に聞くが、会社を作らないでお前は何者になるつもりか?」と。
この時も心の恩師である岡本太郎氏の本で読んだ言葉が何度も半鐘する。
「自分の中に毒を持て」
本のタイトルであるこの言葉。そして
「道端で仏に会ったらどうするのが良いのか?…迷わず仏を殺せ」
※元は臨済宗の開祖・臨済の言葉
これは、新しい事をやる時に、古い自分を自らがぶち壊す。知見や私見や予想を越えて真剣を交わす勢いで未知と対峙する。全てを自らが考える。
私はそのように解釈している。
どうしてスティーブ・ジョブズはiPhoneだけじゃなくiPadを作ったんだろう?
ピンチの時こそアクセルを踏み、猛スピードで突き進むマインドが私の中にはある。
そしてやり遂げるだけの意志とビジョン、そうしないといけない理由がモチベーションをつくり、理屈を超える。
そのマインドが、か弱い可能性の細い糸かもしれない恐れも同時に考える。
そんな自問自答の結果…。
計画を立てて事業をスタートさせようとなると、やはりここから先は個人では無理だと私自身も判断し、
私が代表で、Hを役員に据える前提で会社を設立する事を決意する。そう決めてからは幼少の頃の自分が戻ってきた。作りたい事を目の前に、それに必要な知識を吸収する。
Hも、それをずっと待ってくれていたようだった。これから、報いたいと思う。
偉人との会話を一旦辞めて会社法、税務、労務管理等、足りない知識の学習に注力した。
同時に、このサービスに必要な情報がWebやアプリ上でどのように表示され、ユーザーの使い勝手は どのようであれば良いのかといった 今のFIELD AiD SCOREBOOK の基礎となるような、画面設計を始めとする企画設計を練り上げた。
2011年3月3日、合同会社クラウドプロダクションの誕生である。
社名の由来は、変幻自在でどのような形であっても「雲」として堂々と在り続けたい。そんな想いから名付けた。
何も先が読めない時代だと言われるが、歴史はいつだってそうだった。
だったら、堂々と変化の代名詞を名乗ろう。
作られた変化ではなく、変化そのものであることを恥じず、諦めず堂々といる。
設立当初のおおよその事業の方向性と役割確認の説明を終え、Hの言葉が今でも忘れない。
「一蓮托生でやっていこう。」
お互い、固く決意して臨んだ法人設立…のはずだった。
この時、既に決別へのカウントダウンが始まった事など、知る由もなかった…。
〈この続きは明日以降また〉
The post 野球スコアブックアプリ誕生秘話 第7話「合同会社クラウドプロダクション設立」 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>The post 野球スコアブックアプリ誕生秘話 第6話「産みの苦労・企画立案」 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>「野球のスコアブックのiPad対応」を持ち掛けられ、
聞いた瞬間に直感で「それだ!」と思い判断した。
そこまでは良かったのだが、まず野球に興味がなかったので、やった事もなければ、ルールも知らなければ、市場も知らない。
その為、「売れる!」と言う感触とはまた別物なのだが、何故か直感で反応した。
直感がそう思った理由を敢えて説明すると「アナログな習慣をデジタル化することで多くの人々へ恩恵がある」そんな企画であれば、例えリスクが有ったとしてもやる価値があるだろう、そう考えて、目を血なまこにしてアイディアを探していたところにピタッとハマった気がしたのだ。
プレイやルールが分かっていない為、これもまた直感的にこんな事を感じていた。
「絶対に苦労するプロジェクトになる」
「問題が次々に発生するのだろうな」
そんな映像が目の前に浮かぶ。(そしてその後、その映像は現実のものとなる…)
同時に、心の師である岡本太郎氏の言葉が魂を揺さぶる。
「楽な道と困難な道が現れた時、困難な方を常に選べ」と。
上京し、バンドメンバー解散の辛さの憂き目に遭い、東京で一人ぼっちになった私にはとにかく時間があった。
その時間は、本の中に偉人との語らいに目を通す事に充てられた。
その偉人の中の一人が岡本太郎氏であり、他には宮本武蔵やゴッホなどが居た。
この時期は中途半端にメジャーな偉人には何故か目がいかなかった。超有名人が良かった。発行されている文献や考察の書類が多かったので、より長く付き合えるからだ。
私は彼らの事を勝手に友人、いや大親友くらいに思っていた(笑)。
目標を失った自分には、目標への探求にブレることなく行き通した彼らとの毎日の語らいが本当に楽しかった。
さて、これから私自身がITを専門でやっていくのであれば、知らない分野の習慣をゼロから学んでシステム化する事は当たり前ではないか?
だったら、一番やりにくく、世間的にも難易度が高いと評価され、苦手意識のあるものから挑戦しよう!と偉人達(友人達?)の後押しもあり、心に決めたのだ。
では何故、野球に苦手意識があるのか?というと…。
幼少期、私は運動神経が良い方ではなく、クラスの皆が入っている野球チームに怖くて入れなかったからだ。
当時は、Jリーグもバスケもない。スポーツといえば、子ども達は皆当たり前のように野球をやっていた時代だ。
しかも、宮崎のかなり田舎に住んでいた為、1クラス男子7名の内、5名が野球チームに入ると、自然な流れで…
「舟井君はいつ入るの?」、「何で入らないの?入って当たり前じゃないの?おかしいんじゃない?」といった意味合い、ニュアンスが含まれた勧誘が始まるのである。
スポーツに自信がなかった幼少期の私は「そのうちね…」とごまかしていたのだが、
「そのうち」が訪れる事はなかった…。あの固くて速い球が身体に向かって飛んでくるのが、怖くて仕方なかった。
それよりも自宅で空想の地図を書いたり、オリジナルのおもちゃを作ったり、想像している方が楽しかったのだ。
野球で、皆と遊べなかった事を今でも後悔している…。
だからこそ、今の子ども達や若者達が活躍している野球の話を聞くと、「スコアブックのアプリで実は関わっている」と言える事を誇らしく感じる。
「野球に興味がない」と書いたが、野球を楽しんでいる人たちは増えて欲しいし、そんな人達が作っていく世の中には大いに興味がある。やはり、体を動かしてコミュニティーに属することは社会生活の基礎だからだ。
さて、話を戻そう。
開発にかかるお金はどうするか…?
この時に登場するのが、三軒茶屋の社長。東京の恩師である。
社長はとにかく物凄くエネルギッシュな方だったが、私と二人きりの時は愚痴やネガティブな発言が多かった。
それは、自分は社会貢献している、色んな事にチャレンジしてきた、多くの人間を成功者に導いてきた…だが、世の中は思ったほど良くならない…。というあの方なりの苛立ちだったのだと思う。
社長は、まだ私が従業員だったころに、二人きりの時に仰っていただいた「舟井君がこんな世の中を明るく照らしてくれよ」と言葉をかけてくれた事があり、それをずっと心に刻んでいる。
その時の真意は、「営業マンとして頑張ってもっと稼げ」
的なことだったかもしれないが、個人的には「世の中にチャレンジして新しい流れを作れ!」と言われているのだと受け止めた。
そんな有り難い言葉をかけて頂いた事もあり「野球スコアブックのアプリと会員サービスを立ち上げてこれから私が責任を持ってやりますので、出資して頂けませんか?」と打診できた。予測される数字とインパクト、そもそもの市場も資料化して説明し、感触は予想外の好感触。オーナーになっていただけるということだった。
それが後のアポイントである、2011年3月11日(金)に時間を頂く事になる。
だが、その前に社長から一つ条件提示された。
「会社化しろ。」と言うのである。
さて、困った…。どうしようか…?
私ができれば避けたかった肩書の一つに、「会社の社長」があった。
その影には、事業を失敗した私の父親の影響が色濃く反映しているのだった…。
〈この続きは次回の投稿で〉
The post 野球スコアブックアプリ誕生秘話 第6話「産みの苦労・企画立案」 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>The post 野球スコアブックアプリ誕生秘話 第5話「エンジニアH ~野球スコアブックのアプリ構想完成」 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>エンジニアのH。彼の事に触れなければならない。
これを読むあなたには、この先に起こるエンジニアHとの別れの結末を知っている。
そして、この当時の私は当然知るはずもない。
今でも彼には感謝している。
エンジニアHとの出会いは、前話で登場した三軒茶屋の会社の先輩社員で、
年齢は私より2つ上。体格はガッチリ大柄で、地頭が良く、プライドの高い男だった。
Hは、三軒茶屋の会社を先に退職し、別の制作会社でデザイナー兼エンジニアとして転職していた。
私は、その2年後に退職してフリーランスとして独立を果たす。
結局、バンドメンバーはどうなったのか?というと、上京後、半年後には解散…という寒い状況に終わる。
ギターボーカルFは地元大分に帰る等、皆方々散り散りに離れていった。
「東京で一旗揚げる」と思ったのも、束の間で、何をしに上京したのだろうか?という働きながら自問自答する東京の日々だった…。
独立の理由は、音楽をやる為に東京に出てきたのに、音楽に重きを置けていない。そんな自分自身の感情を顧みて、作曲活動を仕事にしたいと思ったからだ。
それからしばらくは、webの運営業務と、音楽制作の案件とを上手く並行してこなしながら、
三軒茶屋の会社からの仕事も請負いながら、音楽の音源制作の仕事を受注しながら何とか個人事業として一人でやってきた。
その間、会社員のH、個人事業主の私と別の道を歩みながらも、前職で仕事を通じて気が合った事から
定期的に飲みに行ったり、様々な相談をし合ったりしていた。
Hは、元々サラリーマン同士の頃から、IT技術への飽くなき探究心とビジネスへの応用アイディアを多く語りあっていたので、そんな話がもっと具体的になって表面化してきたような感じだ。
そして、あるタイミングでHも私に触発されたのか?独立宣言をする。
その宣言の流れの中で、一緒に仕事をやろうというお互いの意思確認とも言えない、阿吽の呼吸というか、その場の空気でなんとなく「チームを作る」的な事が決まった事を覚えている。
当時、Hが様々なベンチャーが成長している記事などを指さして
「同じくらいの年代の連中がこんな風に上手くいっているだから、俺らでも全然出来るよ。逆に出来ないとおかしくないか?」と
H特有の鼻っ柱の強い根拠のない自信に、私は笑いながら
「やってみますか!」と返答するのが、お約束になっていた。
そこから、それぞれが個人事業主として事業を回している状況が半年~1年経過後、
屋号を作り、二人でグループとして仕事を回す事になる。
その屋号(ここでは仮にチームズという名前にする)の目的は、制作スキルの秀でたフリーランス集合体にて、
仕事をこなす…というものだ。
チームズでは、大学関係からメーカー関係、広告代理店などから案件を頂き、実務としては音、映像、紙媒体、web、コピーライティング、写真素材提供などもやったりした。
とにかく生きる為に貪欲に取り組んだ。
そんな動きの中で、野球スコアブックアプリに関わるもう一人の重要人物と会う。
大学の先輩の紹介で、アプリ開発実績のある優秀なアプリエンジニアT。
当時、世の中は、iPadが発売され、スティーブ・ジョブズとApple社の偉業に沸いていた。
iPhone、iPad用のアプリを作り出せれば、ビジネスチャンスは拡がる可能性を感じていた。これに乗っからない手はないと。
そんな中で、運命に導かれたのか?と思いこんでしまう程幸運にもアプリ開発に必要なピースが揃ったのだ。
Tは、私と地元が近かったり、同い年だったり、何かと共通の話題も多く、なんとなく盛り上がれる距離感から話がはずみ、私のイメージしているアプリをどう作るか? 会話の中から具体的な手法や問題の解決法の提案の速さが有り、何より実績が素晴らしかった。
アプリ開発はT。webやサーバ関連はH。企画、ディレクション、営業は私と役者が勢揃い。
さて…、問題は何を作ろうか?
iPhone、iPadでやりたい、ということだけは漠然と決まっていた。
ジョブズが考えて作ったあの素晴らしい作品と共演したいと考えた。
様々なアイディアが頭の中を駆け巡り、作っては、キーノートに打ち込み、TとHにプレゼンとブレインストーミングの日々が続く。
ただ、実際に考えをまとめて計画を立ててみると、自分たちの持ち出しでやれる範囲の企画は限られてくる…。
やはり先立つもの…。お金が必要だ。
シリコンバレーの様々なスタートアップ、国内のベンダーから、新サービス新製品の情報を得ては、形になるものを作れていない自分に焦る。
お金を集める企画内容でないと、実際に走らせる事ができない。
考える力、人材を集める力とはまた別で 資本を集める力が必要だった。
今度は、資金調達について勉強を少しずつ始める。
ところで、何故あれだけの音楽への情熱がIT開発の分野へ移ろいだしたのか?
疑問に思われるかもしれない。
ひっそりと私の中で起きた最大の化学変化は、音楽活動に求めていた価値=表現をしたい、自分を開放したいということも事実あったが、描いたビジョンや流れに他人が呼吸を併せてきて、一つの何かを作り上げる事、それをやれる仲間との出会いが、一人で作曲をする面白さを上回り始めた事だ。
すなわち、バンドと言う形式で仲間と活動が続いていたら、満たされていたはずの創作し融合しそれを発表する事で得られる“いつまでも上昇気流にいるような幸福感” が満たされていて、こんな流れは生まれなかったと思う。
偉人たちとの対話で自己の掘り下げも必要以上に深かった私は、その変化と、その理由をしっかり感じ取っていた。
だからこそ、この変化の意味に興味津々だった。
そんな中、以前勤めていた会社の人脈の一人である先輩経営者Sさんから金言を頂く事になる。
「野球のスコアブックをiPadで管理とか、入力とかできないの?」と。
聞いた瞬間に直感で「それだ!」と思い、企画を考えた。
お金の出処もアテがありそうな話しが、シンクロニシティの様に同時に発生した。
その判断こそが野球スコアブックのアプリ誕生のきっかけになったのは言うまでもない。
たが、この後、想像を絶する苦労を体験する事になるのだった…。
〈この続きはまた次回の投稿で〉
The post 野球スコアブックアプリ誕生秘話 第5話「エンジニアH ~野球スコアブックのアプリ構想完成」 appeared first on CloudProductionのBlog.
]]>