京都のお寺とは妙香寺

それは南北朝時代から続く、北朝の泉涌寺、南朝の妙香寺。(実は更にこの古事記自体を作る指示をだした藤原不比等説等、、、が参考にした書物、その前に焼かれてしまった書物、今も残る風土記等もある)世の中には様々な仕組みがあるが、経済の観点では、複式簿記の仕組みを創造した連中に注目すると12世紀のベニスの商人と日本では源義経。

その思想の根底を支える一つとして“修理固成” というものがある。みずからの天命を解明し、我々がそもそもの存在に戻る努力が必要である、それに向う鍛錬こそが原理原則でいう重力や浮力と等しい行為である。これが、当社の理念「親身になる」の定義、「最大限考える」ということに繋がる。

話は「却下」にもどる。ようするに、西洋の科学の実績を日本が科学的に捉えている知識体系とまず、インターフェイスが繋がったのであろう、と推測する。そうでないと、要求に対する分析の前にインプットに値する情報とみなされない。それが世界を動かしてきた歴史の一旦を国師から天皇陛下へのアドバイスでもって「却下」が通ったという事と推察する。なにせ天皇家を中心とした日本の歴史の中で科学的に麻田剛立による地動説や大麻や水の構造論がこれから世界を経済で掌握していく上で大きな障壁になり、西洋医療の壁となる人体=宇宙論などがフルセットででてきてしまった。

アメリカとしては、CIA直轄で日本をコントロールできればそれでよいから天皇制維持を認めた、というのが大筋の文脈であるがそれだけだと、中露共産圏への牽制とアジアにおける日本ショーケース戦略としてはうまくいくが、根本的な敵の排除という観点から、矛盾が生じるのである。そこでみえてくるのがアメリカとイスラエル、中東のイラン、アフガニスタンで続く争いの原因である交易を根本とした世界史と、地球自体のち京の変化=海面の移動を考慮した実際の世界地図から推察される現代人の考える航路の違い…紐解けると考えている。

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