流される人 騙される人 似たような間違いを繰り返す人

何故なら人は失敗しないと本域で考える事をしない。

そして物事は本域にて考えないと仕組みとその逆説までを把握する意味で、”上手く” やれない。

しかしながら人は成功している間は考えない。アウトプット中は右脳が活性化され無意識やセンスが運用するフェーズといえる。

つまり成功と失敗は繰り返すように運命付けられている。

(カオスや複雑系の研究でその片鱗が数字による証明として、事実へアプローチに向けて方程化されている。)

このことはジャン・ボードリヤールの情報活用 to 情報消費の考え方…

消費社会神話論として一つの学問体系化されているので興味がある方は参考に。

これを一枚絵にしている資料も指針の書には挟んである。表現としては成功と失敗ではなくて生産と消費というイベントを情報というDBにて行為化する見立てにはなりますので、厳密には表現直結する話ではありませんが、理論の根拠として。

もう少しだけ突き詰めると成功と失敗という概念自体を改める必要がある。

失敗は成功に必要な機能であり、成功も失敗に必要なイベントである。

そうなると失敗を怖がる事ほど無駄はない。

貴方が今もし、目的が見つからない、いつもの習慣から理想の習慣にならないという場合、もしかすると既に成功を味わっていてその成功にしがみついているのかもしれない。

その成功の言葉の範囲の理解が生まれた、育った、それ以前の状況によって異なる為、その解釈は生き方に属しつまり見えなくなっている可能性(有観、無観の八段階中のうち、上から4つ目くらいは変えにくいし、見えない。

そこは宗教なども浅くみえるほど、思想のベースとなる人間のBIOS的領域)がとても高い。

例えば現代日本のように、退屈と感じるかも知れないが日常がつつがなく繰り返される至高の至福が存在している事は人類史上でみるとそれだけでも成功であり羨望の対象である。

そこへ消費活動は必要な機能だが、次にこれを失敗化させる工程(プロセス)をイベントとして発生が必要という意味である。これは実は個人個人が自分自身の心象で起こせる心の改善である。

心象で起きているイベントに気を配ってみる。

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