日本人からノーベル賞を受賞している人物に関西人が多いのは何故か

この事に学ぶ必要がある。
関西勢は関ヶ原で負けた記憶がDNAに強く刻まれている。
徳川は江戸幕府の体制の中に東アジア経済圏の流れを掌握する拠点として重要かつ化石化していく流れ(室町から豊臣時代迄に培われた東アジア貿易圏を基盤とした経済)を取り込みたかった。つまり大阪を恐れ、取り込み、保護した。その証拠に江戸は金本位になっても、鎖国しようとも大阪は銀本意を崩さなかった。

更に明治になって東京中心の国づくりが始まり絶対政権化してからは 大阪は大幅に人口減少、実際半分くらいになった。

大阪は街が寂れていく反面、事物をリアルに捉える視点
事物は変化するが故、思想は残った。逆に捉えると思想が全てだった。

これは世界では華僑やユダヤ人に共通するマインドのフラクタル(構造の外輪を抽象化した場合の共通像)である。セム系に対する有色人種が成し遂げてきた、代表的な事例もある。明治から昭和にかけての日本の世界への数々の実績である。敗戦からの経済主軸国家(実質)成り。これは有史以来の大事件だった。

敗北や喪失を味わい諦めに至りそうになる所を、そうではなく悔しさや何クソの精神を心の火として宿す。現実をとらえ、松明の燃料は不屈の心をつないでいく事である。

世の時流が川の流れだとすると、その水底にある大きなうねり。
それはS字でその矛先をうねらせながら2つの属性を繰り返していく。

つまり勝者も敗者も、生き残った者も死者もそれぞれがロール(役割)であり、陰陽である。全体として向かう先がある。その為に本質的に必要な事こそが我々が学び、自らに取り込み、伝えて行く事のコアとなる。

これを理解する事は自らが何者であり、何ができるのかを自覚し、使命を知る事を含む。

自らは何者であるか。 何の流れを組む者であるか。
心の火が無ければ、今は静かだろうけども大きなうねりの中では消えていく存在なのかもしれない。そういう危機感を持つ。
燃やされるだけのロウソクや燃料として横たわるだけの人生に納得出来るのであれば、それでも良いかもしれない。

我々は心を火にする必要がある。生きる上でその原理となる燃料。

西洋的に言うなら、モチベーション。モチベーションによる強烈な反省から、学習と先人の知恵を活用しじっくりと計画を立て考え、必要な事を準備し実現出来る範囲を見定め、これを実行する。

良く学び、観察し、内観から外観を得、行為から直感を得、循環を自らの中に住まわせる。

それを習慣にするその手前の発火の原理は常に敗者、権威への挑戦をするオルタナティブ(もう一つの流れ。副流)の中にヒントがあるという事である。

俗にいう挑戦者。その為、自らの挑戦が見つかったと仮定して、自らが孤独にならないような工夫…これによって、現代の「骨抜き、牙なし、ロウソク人間を量産」する力に抗い、その支配が続く事から自分を守る必要がある。自分の心と精神状態は誰にも守れない。自分で工夫する。

常に挑戦者の作品や言葉に触れてその心を忘れないことが非常に重要である。
芸術や音楽、映画にSNSはその為に存在している。そう思うべきである。全てを目覚めさせる必要がある。暇つぶしの日常はロウソク精神である。

ちなみに著者個人的にはフィンセントファンゴッホ、宮本武蔵、岡本太郎、高杉晋作、安住紳一郎、スマッシングパンプキンズ、80年代の日本とイギリスの音楽、etc 彼らの自由への思想(ここでいう自由思想は日本的なリベラルではなく、世界教養レベルでのリベラル、世の中を良くする為の強烈な情熱、改善力の事)、から心の火に多くの勇気と示唆を貰っている。繰り返しになるが、孤独に気をつける事。 孤独は勘違いに繋がる。勘違いも時として成功の元だが、本当にズレていては意味がない。

良く吟味すべきである。

__参考URL
ノーベル賞について雑談

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