野球スコアブックアプリ誕生秘話 第9話「アプリのリリース」

2011年4月。社長から正式に発注(投資)を頂く。

当時、地震の影響で世間では、自粛ムードが漂う中、

「野球」という趣味・嗜好の業態を推し進めて良いものか?悩んだが、

「被災地の子ども達へ、野球ができる環境になった時に、このアプリがあって欲しい」

と思ったし、「世の中を明るく照らす」為に、微力ながら自分の出来る事と言えば、このアプリを完成させる事だった。

結果、リリースに向けて開発を進める事になり、

リリースが2013年3月。約2年の歳月を要する事となる。

理由は至極明確…。野球を知らないが故のタスク、フローの抜け漏れが多く、

一旦作っては、エラーが出たり、不足の機能が発覚したため、一から作り直し…。

それが無限にループする。

このプロジェクトを始めようと思った時によぎった直感が見事に命中するのである。

もちろん、野球を知らない私をサポートする、監修や企画側としてフィールド検証に協力していただいている方達もいる。
野球業界歴の長い専門的な方とプロジェクトを進める中で、スコアブックの付け方には、例えば同じ早稲田式でも様々なルールがあり、そのルールの統一や難しい判断にも多くの議論を交わし、進めていく事と開発の巻き戻し、それらを切り盛りすることに時間がかかった。

今思うと、穴があれば何とやら…と思うほど何度も壁が立ちはだかり、解決の手段が見当たらず八方塞がりの状況下で、ちょっとぐらい休みたい…と弱音を吐きそうになりながら、そこを気持ちを入れ直し各関係者の音頭をとりなおし、自分の目的ややりがいを鼓舞し、なんとかして前に進む、当時はそんな状況だった。

実際の野球でも守備が悪く、エラーが多い試合は、話にならないが、そもそも全体像の把握が甘く、基本的なゲームのルールを知らないが故の反則の笛を度々鳴らされる、そんな感じだった。

実践経験の少ない、寄せ集めの草野球集団。

それが、当時の当社だったのかもしれない。

そのころ開発場所は、自宅と自宅の真横に賃貸部屋を借りており、そこが事務所となっていた。

そうなると基本的に私の行動パターンとしては、自宅とすぐ横の事務所の往来しかない。

なるべく経費も生活費も掛けないように、私がほぼ毎日スタッフの分も含めた食事を作っていた。外食なんてとんでもない!みないな状態。

そんな山籠もりにも似た環境がしばらく続いた後、

Tを始めその他デザイナーさんなどの技術者とは遠隔でのやりとり、Hとは社内の僅かな他案件と兼任してもらいながら、私自身は、開発、動作テスト、野球ルールとの整合性確認、仕様設計のやりなおし、追加開発、そして追加資金の調達、事業計画の修正、…等のビジネス面含めた工程管理をしつつ、地道に歩をすすめていた。

途中で何度も関係者と衝突し、進め方や思想に関しても何度も議論があった。

サイトの情報設計と実装、ライティングやデザイン周りも完成してきつつ、Appleへのアプリの申請を数回繰り返し…関係者皆、本当に頑張って頑張り抜いた結果、

2013年3月、ついに「FIELD AiD SCOREBOOK」が正式にリリースとなる!

企画草案時期からカウントすると実に2年掛かりのプロジェクトである。

リリースしたからと言って全く気は休まらない。

ここから実際のユーザーからの反応をみてシステムを成長させていくフェーズにはいる。

やっとリリースできたという開放感はあまりなく、というのも、リリース時点でも実は未だまだ開発タスクが5~60件は積もっていた。

最初のユーザーお申込みを頂いた瞬間を忘れられない。

「パンフレットを見た」という問い合わせから、アプリをダウンロードして頂き、そこから若干の工程を経てからでないとweb会員になって頂く事は叶わない当システムで、 会員になるまでのハードルが高いのでは? 金額は適切か? 使いたいと思ってもらえるだろうか?

いやこの方法が結果的に一番使ってもらいやすいはず…

等など不安も自信も混ぜこぜの心境で、なんとなく延々と続くと思われる開発作業を継続していた当時。

各種プレスリリース等が公開された10日後くらいだっただろうか、お申込みのメールが関係者全員へ通知された。

開発チームの我々は、「おおお~!」「どこどこ?どこ経由だろう?」「本当に入会してくれた!」等と一気に盛り上がった事を記憶している。

そこから季節が春に向けて暖かくなるに連れて立て続けにユーザー数が増加していった。

そのちょっと前に遡るが、何の気まぐれか、住まいのコミュニティーでのボーリング大会(私はボーリングもガーターしか出せない)に参加し、その際に出会った、接骨院のオーナーの誘いにより2013年12月から吉祥寺のとある経営者が集う交流会へ足を運ぶ。

「野球スコアブックアプリをPRするのに良い場かもしれない」という期待の下、入会する。

そういった私の動きが、小規模組織では、特に組織内の各人の動きが必要以上に自分自身の手足のようにすぐに伝播する。時にそれは嬉しくもあり、うざったくもある。

不思議なもので、四六時中顔を付け合わせて仕事をしていた仲でも、

一旦相手の意識が外に向くと、途端に意思疎通が上手くいかなくなる。

私とHとの関係も例に漏れず、まさにそれで、

少しずつ歯車が噛み合わなくなっているのを感じていた。

この時期、ふと、なんだか不安というか既に潜伏はしてる事を知っているが発症を薬でわざと騙し騙し送らせている内蔵にずしっとくる病気に似た、嫌な予感があった。

だが、私は出来たものを今度はPRし、運営する為のコストをプロジェクトへ投入し、継続できるようにコントロールしなければならない。

社長に投資していただいた開発資金は底を完全についており、これからの野球スコアアプリの売上をアテにするしかない。

それに、爆発的な要素のあるプロモーションを行うわけではないため、すぐに売れ始めるわけではなく、やはりこの野球スコアアプリを維持しながら、地域に根ざして細やかな仕事を信頼を築きつつ獲得していかねばならない。その意識に思考も行動も取られていた…。

唯一の共同創業者のHと、お互いが違う景色を追いかけ始めていた事にこの時の私は知る由もなかった。

 

最終話はこちらより

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