先輩経営者Sさんから
「野球のスコアブックのiPad対応」を持ち掛けられ、
聞いた瞬間に直感で「それだ!」と思い判断した。
そこまでは良かったのだが、まず野球に興味がなかったので、やった事もなければ、ルールも知らなければ、市場も知らない。
その為、「売れる!」と言う感触とはまた別物なのだが、何故か直感で反応した。
直感がそう思った理由を敢えて説明すると「アナログな習慣をデジタル化することで多くの人々へ恩恵がある」そんな企画であれば、例えリスクが有ったとしてもやる価値があるだろう、そう考えて、目を血なまこにしてアイディアを探していたところにピタッとハマった気がしたのだ。
プレイやルールが分かっていない為、これもまた直感的にこんな事を感じていた。
「絶対に苦労するプロジェクトになる」
「問題が次々に発生するのだろうな」
そんな映像が目の前に浮かぶ。(そしてその後、その映像は現実のものとなる…)
同時に、心の師である岡本太郎氏の言葉が魂を揺さぶる。
「楽な道と困難な道が現れた時、困難な方を常に選べ」と。
上京し、バンドメンバー解散の辛さの憂き目に遭い、東京で一人ぼっちになった私にはとにかく時間があった。
その時間は、本の中に偉人との語らいに目を通す事に充てられた。
その偉人の中の一人が岡本太郎氏であり、他には宮本武蔵やゴッホなどが居た。
この時期は中途半端にメジャーな偉人には何故か目がいかなかった。超有名人が良かった。発行されている文献や考察の書類が多かったので、より長く付き合えるからだ。
私は彼らの事を勝手に友人、いや大親友くらいに思っていた(笑)。
目標を失った自分には、目標への探求にブレることなく行き通した彼らとの毎日の語らいが本当に楽しかった。
さて、これから私自身がITを専門でやっていくのであれば、知らない分野の習慣をゼロから学んでシステム化する事は当たり前ではないか?
だったら、一番やりにくく、世間的にも難易度が高いと評価され、苦手意識のあるものから挑戦しよう!と偉人達(友人達?)の後押しもあり、心に決めたのだ。
では何故、野球に苦手意識があるのか?というと…。
幼少期、私は運動神経が良い方ではなく、クラスの皆が入っている野球チームに怖くて入れなかったからだ。
当時は、Jリーグもバスケもない。スポーツといえば、子ども達は皆当たり前のように野球をやっていた時代だ。
しかも、宮崎のかなり田舎に住んでいた為、1クラス男子7名の内、5名が野球チームに入ると、自然な流れで…
「舟井君はいつ入るの?」、「何で入らないの?入って当たり前じゃないの?おかしいんじゃない?」といった意味合い、ニュアンスが含まれた勧誘が始まるのである。
スポーツに自信がなかった幼少期の私は「そのうちね…」とごまかしていたのだが、
「そのうち」が訪れる事はなかった…。あの固くて速い球が身体に向かって飛んでくるのが、怖くて仕方なかった。
それよりも自宅で空想の地図を書いたり、オリジナルのおもちゃを作ったり、想像している方が楽しかったのだ。
野球で、皆と遊べなかった事を今でも後悔している…。
だからこそ、今の子ども達や若者達が活躍している野球の話を聞くと、「スコアブックのアプリで実は関わっている」と言える事を誇らしく感じる。
「野球に興味がない」と書いたが、野球を楽しんでいる人たちは増えて欲しいし、そんな人達が作っていく世の中には大いに興味がある。やはり、体を動かしてコミュニティーに属することは社会生活の基礎だからだ。
さて、話を戻そう。
開発にかかるお金はどうするか…?
この時に登場するのが、三軒茶屋の社長。東京の恩師である。
社長はとにかく物凄くエネルギッシュな方だったが、私と二人きりの時は愚痴やネガティブな発言が多かった。
それは、自分は社会貢献している、色んな事にチャレンジしてきた、多くの人間を成功者に導いてきた…だが、世の中は思ったほど良くならない…。というあの方なりの苛立ちだったのだと思う。
社長は、まだ私が従業員だったころに、二人きりの時に仰っていただいた「舟井君がこんな世の中を明るく照らしてくれよ」と言葉をかけてくれた事があり、それをずっと心に刻んでいる。
その時の真意は、「営業マンとして頑張ってもっと稼げ」
的なことだったかもしれないが、個人的には「世の中にチャレンジして新しい流れを作れ!」と言われているのだと受け止めた。
そんな有り難い言葉をかけて頂いた事もあり「野球スコアブックのアプリと会員サービスを立ち上げてこれから私が責任を持ってやりますので、出資して頂けませんか?」と打診できた。予測される数字とインパクト、そもそもの市場も資料化して説明し、感触は予想外の好感触。オーナーになっていただけるということだった。
それが後のアポイントである、2011年3月11日(金)に時間を頂く事になる。
だが、その前に社長から一つ条件提示された。
「会社化しろ。」と言うのである。
さて、困った…。どうしようか…?
私ができれば避けたかった肩書の一つに、「会社の社長」があった。
その影には、事業を失敗した私の父親の影響が色濃く反映しているのだった…。
〈この続きは次回の投稿で〉